裏 bio

*長いのでヒマな人はどうぞ。

1970: 母親の実家、大阪で生まれる。母の実家も生まれた病院も今はもう無い。じいちゃんによく連れて行ってもらった銭湯はまだあるだろうか。

1981: 小学5年生、初めてのバンド結成。ベース、ギター、ドラムスのトリオ。とは言っても楽器なんて買ってもらえないからギターとベースはホウキだった。ドラムスは段ボールで作った。それぞれがそれぞれのパートを歌っていた。

1982: 六年生に進級と時を同じくしてバンド解散。そしてすぐまた再結成。バンド名も「トリプル・クレイジー」に決定。そのころには掃除時間に作詞・作曲をして溜め込んだオリジナル曲も数曲あった。しかしタイトルは何故かすべて「○○ロックンロール」。転校していく友達のためにカセットテープに吹き込み、歌詞カードも付け、アルバムを製作した。初めてのレコーディング。スタジオはメンバー宅の玄関。理由は響きが良かったから。ふいの来客に最も気をつかった。

1983: 中学入学と同時にバスケ部に入部。レギュラーにはなれなかった。音楽からはちょっと遠ざかる。

1985: 高校入学と同時に吹奏楽部入部。トランペットかパーカッションがやりたかったが、先輩にサックスを指名されて楽器が決定。遂にサックスを手にする。最初はアルトだった。案外簡単に音が出たのに気を良くしすっかりはまる。毎日時間がある限り吹いていた。この頃「将来サックス吹きになれたらいいなぁ。」なーんてうっかり思ったりしてしまった。バンド活動に明け暮れる日々を送る。

1988: 岡山大学入学と同時にJazz研究会に入る。この頃のアイドルはDavid Sanborn。好きな言葉はペンタトニック。先輩に「Be-Bopをやれ」と言われたがワケが解らないので拒否る。「ジャズは大人の音楽だ」と思った。

1989: 大学2年の時に参加した「Berklee in Japan'89」にて奨学金をもらい、何のためらいも無く留学を決めた。このとき休学した岡山大学には後にうっかり退学届を提出することになる。

1990: 秋に渡米。7年間のとっても濃い滞在が始まる。入学早々当時学生だったサックスプレイヤーのChris CheekやSeamus Blakeらに衝撃を受ける。皆すごすぎてかなりへこみまくった。サックスやめよう、と本気で思った。

1993: Joe Lovanoを聴きそのサウンドにしびれる。意を決してもっと自分の声に近いテナーサックスに転向。いよいよ「大人の音楽」ジャズを追求し始める。それこそありとあらゆるプレイヤーの音源を聴いた。中でも、「テナーだったら先ずロリンズだな。俺は中学のときサキコロにやられたぜ」みたいなことを Seamus Blake に言われ、日夜 Sonny Rollinsのトランスクライブに励んでいた。専攻もJazz作曲科に変更、いつか全てオリジナル曲でバンドを組もうと決意。

1994: Keith Jarrett Trioを聞きそのインプロビゼーション・スタイルに衝撃を受ける。そののち70年代のヨーロピアン・カルテットのメンバーであったJan Garbarekの音源を聴きそれまで聴いたことがなかったスタイルにまたまた衝撃を受けてしまう。

1996: Berklee卒業後、自らが作・編曲を手掛けた初のリーダー作"AND THEN YOU HEARD TALES"(HAO RECORD 428・輸入盤)をリリース。

1997: 2作目のリーダー作となる"IN A STRANGER'S HAND"(HAO RECORD 429・輸入盤)をリリース。秋に帰国。人の多さと駅の自動改札に驚く。

1998: 日本での「橋爪グループ」を結成、都内ライブハウスにて演奏活動を開始する。またアメリカからベーシスト、ドラマーが参加しオリジナルメンバーで東京・大阪を中心にツアー。様々なバンドやセッションレコーディングにも参加する。

2006: POLYSTAR JAZZ LIBRARY より3作目のリーダーアルバム「WORDLESS(P.J.L. MTCJ-3031)」 をリリース。

現在: 自己の音楽を追究する「橋爪亮督グループ」を中心に、世間の荒波に揉まれながら新宿ピットインなど首都圏ライブハウスで活動中。